以下の記事はネット記事をコピペしたものです。
由利公正
由利公正は、幕末・明治期の政治家です。
文政12年(1829)、現在の福井市毛矢1丁目に福井藩士三岡義知の長男として生まれました。初め石五郎、後に八郎、公正と改名しました。また、明治3年(1870)以後は、先祖の旧姓の由利を名乗りました。
横井小楠(よこいしょうなん)に師事し、藩の財政建て直しを含む、藩政の改革に貢献しました。
明治新政府の成立後は太政官札(新政府の発行した最初の紙幣)を発行するなど、財政基盤の整備や、「五箇条の御誓文」の原案となった「議事之体大意」を作成しました。
その後、東京府知事となり、銀座通りの整備等を行いました。
また、民撰議院設立建白書にも名を連ね、明治42年(1909)に、81歳で亡くなりました。
横井小楠
横井小楠は、幕末の政治家・思想家で、文化6年(1809)8月13日に、肥後藩士横井時直の次男として、内坪井(現熊本市坪井)に生まれました。
小楠の考え方は保守的な考えの強かった地元熊本では受け入れてもらえず、嘉永5年(1852)以来、招請により4度も福井を訪れています。福井藩の明道館校長にも任ぜられ、松平春嶽の政治顧問としても重視され、藩政改革にあたります。文久2年(1862)、松平春岳が幕府政治総裁となり、小楠も松平春岳の要望に応え「国是7カ条」(後述)を作成するなどし、幕政改革にも参画しております。
おそらく左側が由利公正です。




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