不惑の雑考:岸田秀

今から35年前に横浜に引っ越してきて間もなく、ある本屋で「ものぐさ精神分析」という本を買いました。

ある晩にその本を読みだしたら、止まらなくなって結局朝までかかって全部読んでしまいました。
読書が苦手な私にしてはとても珍しいことです。

私が読むのをやめられなかった理由は、その内容があまりにも恐ろしかったためでした。
恐ろしいと言っても「八つ墓村」のような恐怖でありません。
自分のこころの闇の部分を突かれたような気がしたのです。

以来、岸田秀の本を集めるようになりました。

この本は雑誌へのエッセイ集でとても読みやすく、また岸田秀らしさが全開です。


岸田秀さんは、まだご存命

岸田秀さんは、早稲田文学部心理学科卒業の精神分析学者です。

昭和8年生まれなので現在 89 歳で、まだご存命のようです。

若い時から、タバコも酒もいっぱい飲んできたと著書にあるので、ひょっとして亡くなっておられるのではないかと思っていましたが、お元気なようです。

この本を「自炊」する

ちょっと前に流行った本の「自炊」。

「自炊」とは、本をスキャナーで読み込んで電子化することです。

ただ、スキャナーで読み込んだだけでは単なる画像です。
それを pdf にしてファイリングしてもいいのですが、私は可能な限りテキスト化するようにしています。

テキスト化するには ocr ソフトを使用して文字化する必要があり、そのプロセスはとても面倒なのですが、確認作業の際に速読のトレーニングになるのです。

「不惑の雑考」は kindle で 2,000 円ぐらいとかなりいい値段がするので、おそらくもう読まないであろう本として売却も考えたのですが、「自炊」を通じてもう一度読もうと思いました。

私の持っている ocr ソフトは誤認識が割と多いので、出来上がったテキストファイルを2回ほど通して速読しました。久しぶりに読んで、やはりとても面白かったと思います。

内容は?

この本はいろいろな雑誌などに依頼されて書いたエッセイ集で、岸田さんの本にしては、わかりやすいと思います。

ただ、岸田さんらしい文章を一つ提示すると、

さきに述べたように、本能がこわれ、本能による行動形式を失い、自然の世界から切り離された人間は、それらの代用品として、自我と人工的世界をつくりあげたわけであるが、自我がこの人工的世界のなかで一応の安定を得るためには、この世界は秩序ある世界でなければならず、自我はその秩序と調和した行動形式をもっているのでなければならない。この行動形式が道徳である。自我はこの秩序ある人工的世界に属しているということで、はじめて一応の安定を得るわけであるから、この世界から切り離されれば、自我は崩壊する。また、この世界が秩序を失っても、自我は崩壊する。人間が道徳的であるのは、人びとを傷つけたくない、人びとのために役立ちたいといった自己犠牲的精神をもっているからではなく、道徳を守らないと人びとに非難されるという恐れのためでもなく、道徳への違反が、世界の秩序を脅やかし、ひいてはそこに属している自我の安定を脅やかすからである。

この文章だけは少し難しい感じがします。

電子化した後で本を捨てる

「自炊」するために本をバラバラにしたので、断捨離として本を捨てます。

テキストと pdf ファイルで残してあり、pdf を我が家の電子図書館に収納すれば、我が家のすべての端末からいつでも好きな時に見ることができます。

また、そのうちに作成するつもりですが、電子図書館に収蔵されているすべての電子書籍の内容をデータベース化して、キーワードで検索をかけられるようにします。