FIRE について

最近、FIRE という早期リタイヤが流行りのようです。

FIRE とは、


F : Financial
I : Independence
R : Retire
E : Early

の略で、「投資の資産運用で」経済的に自立して早期に仕事をやめて自由に生きることのようです。

「投資の資産運用で」というのがやや危うい感じがしますが、現在の株価はアベノミクス以降の政策で膨れ上がっているのでそういうことができる人がある程度は存在しているのでしょう。

野田佳彦さんの民主党政権の頃には、1万円前後だった日経平均株価はアベノミクスで2万円前後になり、その後の政策で一時3万円を超えたこともありました。

アベノミクスは官製相場だと私は思っていましたが、でも実際に私の所有していた株はかなり値上がりしたのは事実で、それほど多くはありませんが少しだけ資産は増えました。

でも、FIRE ということそのものが、金のあるなしに関係なく不幸な状態だと私は考えています。

医師の中にも自分の仕事が嫌いな人は案外多い

私は医学部を卒業して麻酔科に入局したのですが、実は「麻酔の嫌いな麻酔科医」でした。

じゃあどうして麻酔科に入局したのかというと、何科に進んだらいいのかが卒業まで決められなかったからです。外科系がいいとは思ったものの、腹部外科がいいのか脳外科・心臓外科どれがいいのかわからなかったのです。

なので、とりあえず麻酔科に入ってその後で決めようと思ったのですが、麻酔は私の「やりたいこと」ではありませんでした。

実は、医師の中で自分の仕事はあまり好きではないという人間は結構多いです。

例えば「手術の嫌いな外科医」「内視鏡の嫌いな消化器内科医」はそれなりにいます。

考えてみれば、「麻酔の嫌いな麻酔科医」も「手術の嫌いな外科医」「内視鏡の嫌いな消化器内科医」もみんな不幸の極みです。
生活のために嫌なことを延々とせざるを得ないからです。

私はついに耐えかねて7年目に麻酔科から外科医に転向しました。
このことが私の人生を根本的に変えてくれました。

私にとって外科医は天職と感じました。
真夜中の手術も苦にはなりませんでした。

心の底から仕事にハマっている名医

私の身近に心から尊敬できる医師がいます。

もう70代半ばを過ぎていますが、今でも精力的に仕事をこなしています。
凄いのは、そのレベルの高さです。

もともとの才能に加えて、費やしてきた時間が一般の医師よりも遥かに多いので普通の医師には到達できない世界にいます。

いわゆるワーカホリックのように外部からは見えますが、本人の自覚的には単に好きなことをトコトン突き詰めてきただけです。

そして、その名医の仕事ぶりは極めて「生産的」「創造的」です。
なぜなら、そのおかげで助かる人がたくさんいるからです。

この「生産的」「創造的」と周囲が認めてくれることに対して、自分が全身でハマることのできる人は幸せに生きられるような気がします。

60 歳ごろ開業医を引退した後輩

医局の後輩で、50歳前に開業して10年ほどで引退して他の医師に後を託した医師がいます。

まだ体力は十分にあり、臨床的な能力も高く、仕事にも充実を感じている様子でしたが、何故か開業医を辞めて引退してしまいました。

飲み会でその話を聞いたときにはかなりの違和感を覚えました。
多分後悔するんじゃないかと。

経済的には十分満ち足りているとしても、後の人生何をして過ごすつもりなんでしょう?

自由は強い人しか耐えられない

高校生の頃に芥川龍之介の「侏儒の言葉」をよく読んでいました。

ちょっと吃音気味だった私は田中角栄の真似をして「侏儒の言葉」や「草枕」を声に出して読んでいました。超難解な「草枕」は当時から不眠症気味だった私の睡眠導入剤の役目もありました。

「侏儒の言葉」の中に私のお気に入りのフレーズがあります。


自由は山巓(さんてん)の空気に似ている。
どちらも弱い者には堪えることができない。

「山巓」とは山の頂上のことです。

自由というのは無条件でありがたいものではなく、それに耐えられるだけの強さがないと自由の意味はないということと理解してました。

FIRE は圧倒的に自由ではありますが、その恩恵を享受するためには、自分というものを完全にコントロールする強さが必要だと思います。

実は勤労そのものが目的だった

西洋のユートピアには畑がありませんが、東洋の桃源郷には畑があります。

これはシンボリックな例えとして、西洋人と東洋人の理想郷に対する根本的な違いを表していると思います。

なので、西洋人はリタイヤすると仕事を全くしなくなるようですが、東洋人(特に日本人?)はリタイヤしても何らかの仕事をしたがるものです。畑は勤労のシンボルです。そして、畑はとても「生産的」です。

昔読んだ「禅と精神分析」という本の中に、次のようなフレーズがあります。


勤労は勤労のためのゆえにこれを好む

つまりは、勤労そのものが人生の目的だったということかと思います。

FIRE は結局のところ、自分がトコトン打ち込むことを見つけられなかった「麻酔の嫌いな麻酔科医」が単に麻酔科を辞めただけのことで、何の解決にもならないという意味で不幸だと思います。

もし自分を燃焼することが見つかっていないのであれば、人生はとても短いので、見つかるまで探すべきではないかと思います。

彫刻家になった玉さん

私の友人の玉さん(水島正博氏)は今から50年ほど前に、十分な収入を保証されている欄間職人を辞めて、彫刻家になるために東京芸大を目指しました。

芸大に入るのは東大に入るよりもずっと難しいと思います。
玉さんは何度か挑戦したのですが、芸大に入ることはできませんでした。

しかし、彫刻家になるためにイタリアに単身留学したりして、最終的には自分の夢を叶えました。経済的には恵まれていないかもしれませんが、「創造的に」自分のやりたいことをやりとげているとは思います。

現在も生き生きと暮らしているようで、人生としてはとても充実しているんだろうと思います。

玉さんの業績を残そうと思って昨年作成したウェブ上の「水島正博記念館」は私のレンタルサーバーである xserver 上にあります。 –> こちらです。