私が父から受けた虐待

tamasan のことをあれこれ想い出していると、昔のことが蘇ってきます。
年を取ったせいか、幼い頃の記憶などが若い頃よりは頻繁に蘇るようになってきました。

私は幼い頃、父から虐待を受けていました。

その虐待は殴るとかではなくとてもわかりにくい行為であったため、それによるトラウマが自分の内部にあると気付いたのは50歳を超えてからでした。

私の両親は戦前に結婚して満州に渡り、終戦後は大変な思いをして日本に帰ってきたようです。
戦争の悲惨な状況の中で母は何度か死産・流産をするのですが、昭和24年に長女が生まれ、その翌年には待望の長男が誕生します。
丸々として健康的な金太郎のような男の子でした。

ところが幸せは突然破壊されます。昭和29年に私が誕生するのですが、その2年後に長男が溜池にはまって6歳で溺死をしてしまったのです。

両親の悲しみは尋常なものではなく、その後、父は酒に酔っては私に向かってひたすら嘆いたのです。

「お前じゃダメなんだ。長男じゃなきゃ。」って。

この愚痴は、おそらくは長男が死んだ直後から始まったはず。
私が憶えているのは、5・6歳でしょうか?
「お前じゃダメなんだ」というフレーズは忘れられません。

父は真面目な教師で、昔よく見られた暴力を振るうようなタイプではなく、特に首から上には決して手をかけませんでした。私も暴力を振るわれたことは一度もありません。

その後、私が7歳の時に小学校のテストでかなり良い点を取ったため、父がようやく私のことを認めてくれたようで、

「医者をめざしてみないか?」

と父が言ったのを今でも憶えています。
私に他の選択肢はありませんでした。

私はそれなりに頑張って医師になったものの、自分の存在の根底部分では今でも何となく自信がありません。

父の嘆きが私の性格的な歪みとどのように関連しているのかは、ブラックボックスが大きすぎて実際のところよくわかりませんが、私はかなり関係しているのではないかと思っています。

父は私が27歳の時に脳出血で早くに亡くなってしまいましたが、父に対しては感謝しかなくて恨む気持ちは昔も今も少しもありません。

ただ、父の行為はやはり虐待であったこと、
そして少しわかりにくい行為であったため、父も私も虐待とトラウマに関して無自覚であったことは、やはり事実として認識すべきと思っています。