癌のために30代で亡くなる女性が、瀬戸内海のホスピスで過ごす日々のお話です。
瀬戸内海に住みたい
数年前に、旅行で姫路城やしまなみ海道に行ってきました。
妻がしまなみ海道でサイクリングをしたいと言うので、夫婦ともにサイクリングの趣味はないのですが、自転車を借りてあちこち廻りました。
天気は最高で、瀬戸内海と島々の美しさは格別で、「ああ、こういうところに住んでみたい!」と感動しました。
この物語の主人公も、人生の最期にきれいな海を見渡せる「しまなみ海道」に憧れて、すべてを捨ててホスピスに入所します。
この本のイメージに合うような瀬戸内海の画像をネットで探したのですが、適当な画像が見つからず、その中でも美しい画像をダウンロードしてみました。

こういうところで人生最期の時間を過ごすことができたらいいかもしれません。
死んだらどうなるか?
この物語は、「死ぬ時・死んだらどうなるか?」ということを割と突き詰めていると思います。
「死んだらどうなるか?」なんて誰にもわかりません。
かなり以前に、癌末期の親戚に「死んだらどうなるか?」と訊かれて困ったことがありました。
わからないので答えようがなかったのですが、知りませんと突き放すこともできず、その時に読んでいた玄侑宗久さんの禅の本にあった言葉を言いました。確かお釈迦様の言葉です。
「瞑想によって体験する以上のことは、死後にも起こらない」(まわり道極楽論)
こんなこと言われても、当然ながら何を言ってるかわかりません。
深い瞑想によって到達する状況とは何だろう?と思いますが、玄侑宗久さんの他の本で引用されていた、「脳はいかにして<神>を見るか(アンドリュー・ニューバーグ)」に書いてある言葉がとても印象的で、それが深い瞑想状態に近いのではないかと思います。
(私は変な宗教は信じておりません。念の為。)
万物は隔てなく一つであり、空間の感覚も、時間の経過の感覚もない。自己とそれ以外の世界との間に境界はない。 そもそも、主観的な自己というものがなく、絶対的な合一の感覚だけがある。 思想もなく、言葉もなく、感覚もない。心に自我はなく、純粋な、未分化の気づきとして存在している。
やはり何のことかわかりませんが、なんとなく自我が目覚める直前の乳児期の状態が近いのではないかと思います。
自分も世界もボンヤリしているけれども何となくすべてを漠然と認識している、という感じではないかと。
アンドリュー・ニューバーグさんは、アメリカの大学医学部の放射線科の教授であり、しかも宗教学の講師で変な人ではないと思います。
その先生がいろいろと科学的・医学的リサーチをおこなって、上のような結論に到達したようです。
私は20数年前に玄侑宗久さんの本にハマったことがあり、本をスキャナーで読み込んで ocr ソフトでテキストに変換して、さらにそれを pdf にして自分のバイブルとして時々読んでおり、そのうちに座禅をどこかで学ぼうと思っていたのですが、これまで一度も座禅を組んだことはありません。
なので瞑想もおこなったことはないのですが、いずれ時間があれば座禅を教えてもらって瞑想することを学びたいと思います。