古希の雑考:岸田秀

本の「自炊」も慣れてくると、1日に1冊ぐらいは処理できるようになりました。

「自炊」とは、本をバラバラにしてスキャナーで読み込んで電子化することですが、私はさらにその画像から ocr ソフトを用いてテキストファイルに変換し、それを libreoffice という word の無料版みたいなアプリに張り付けて、フォントや文字の大きさを調整し、さらに pdf にして自分の電子図書館に収納するようにしています。

このようにすると、iPad で閲覧すれば老眼鏡をかけることなく本を読むこともできます。

今回は「古希の雑考」という、やはり20年以上前に読んだ本です。

どんな本?

岸田秀さんの本を私が最初に購入したのは、おそらく35年ほど前だったと思います。
確か、日経新聞の日曜版に「ものぐさ精神分析」という本に関する記事があって、本屋で興味本位で買ってみたものでした。

その当時すでに有名人になっていたのだと思いますが、御本人も仰っているように、基本的にとてもものぐさで、大きな目標を立てて長期にわたって研究して大作を発表するということではなくて、行き当たりばったりで色々なところで色々なことを書いておられるようですが(これは本人の弁)、この本はそういう短いコメントみたいなものを寄せ集めたものです。

「屈辱の百年」

岸田さんの本によく出てくるのが、この内容です。

 二十世紀は日本にとっておのれの屈辱をめぐって二転三転した百年であったと言うことができよう。十九世紀中葉、ペリーの脅迫に屈した屈辱を起点として日本は欧米諸国に次々と不平等条約を結ばされ、ときに外国人を殺傷したり、薩摩や長州などの日本の一部で外国艦船を砲撃したりしてみたものの、無駄な抵抗に終り、まさに欧米の植民地になってしまった(他のアジア諸国と違って、日本は植民地になったことがないと思っている日本人は多いが、わたしに言わせれば、それは屈辱否認の自己欺瞞である。不平等条約によって治外法権を認めさせられ、関税自主権を失っていたのだから、独立国だったとは言えない)。十九世紀末と二十世紀の前半は、日本がこの屈辱を雪ごうと必死にあがいた時代であった。
 二十世紀初めの日露戦争は、日本としてはロシアの脅威を防ぐための戦争であったが、日本を使ったイギリスの代理戦争の面もあり、実際、軍備や軍事費に関してイギリスとその友邦アメリカの支持と協力がなければ日本が勝てなかったことは間違いないと思われる。しかし、屈辱否認にあせる日本は、外国の援助で辛うじて勝てた(正確に言えば、負けずにすんだに過ぎないが)とは思いたくなく、ひとえに日本軍の作戦と機略、日本兵の勇敢さと犠牲の精神(これはまったく事実に反していた。日本兵は大量に捕虜になったし、とくに接近戦では臆病さが目立ったそうである)で勝ったと思い込んだ。そう思い込まねばならなかったほど屈辱感が強かったのである。日露戦争に勝った現実の原因は隠蔽され、忘れられた。しかしもちろん、そのような隠蔽、自己欺瞞によって屈辱感が解消されるわけはなかった。日本人の心の底では絶えず屈辱感がうずいていた。

私は昭和29年生まれですが、少なくとも小さい頃は社会の雰囲気として、日本などという資源のない小国がアメリカなどという大国と無謀な戦争を仕掛けたせいでとんでもない目に遭ったので、本当に日本という国はダメな国だというムードでした。

最近では、昔とは全く逆に「日本ってすごいですね」という雰囲気のテレビ番組が多く、これはこれでちょっとやりすぎの感じがします。

多分、日本というのはそれほどの小国ではなく、今でも経済規模もかなり大きくて世界的に影響力のある存在なんでしょうが、今回のコロナ騒ぎでは自前のワクチンを作ることもできず、「本当に日本ってすごいですね」と言えるレベルではなかったことはハッキリしたと思います。