正欲:朝井リョウ

久しぶりに本当に面白い本を読みました。
朝井リョウさんは天才だと思います。

朝井リョウという名前は割と記憶に残る名前かと思います。
多分、以前にこの人の作品を何か読んでいると思いますが思い出せません。
過去の書評リストにもないようです。

どんな本?

本当の多様性とは何か?
というかなり難しいテーマを題材にしています。

私自身もそうですが、LGBT を本当の意味で許容している日本人はまだ少数派だと思います。

犯罪でなければ、ただそっとしておいてあげるだけでいいはずですが、日本の社会は古い道徳的縛りや均質性やら何やらでがんじがらめになっていて、基準を外れた存在を徹底的に排除する社会のようで、本当の意味での多様性があるとは誰も思っていません。

見えているのは真実か?

例えば以下のような写真。

https://kamogawa-asobism.com/kimitutyuuoukouenn/

この何気ない写真を見て、「涼しげで気持ち良さそう」と思う人が多いと思いますが、この写真を見て妙に興奮する人もいるようです。

それは裸の子供ではなくて、他のものに対して「性的」興奮を覚える人がいるようなのです。

本当の意味での多様性を許容するのであれば、それもまた「あり」とすべきです。

表現が秀逸

朝井リョウさんが天才だと思ったのは、その表現です。

沙保里が自分に話しかけてきたのは、決して友達になりたいからではない。うまくいかない日常の中で、職場の仲間と一緒に盛り上がれる”玩具にしていい対象”が欲しかっただけなのだ。

多分どこでもそうだと思いますけど、病院って想像以上に人間の嫌なところが詰まった組織なんですよね。命を預かってる場所なのに、人間関係っていうか、政治的なことで色んなことが決まっていくんです。

特に信念がない人ほど、”自分が正しいと思う形に正そうとする行為”に行き着くというのは、むしろ自然の摂理なのかもしれない。

自分が想像し得なかった世界を否定せず、干渉せず、隣同士、ただ共に在るということだった。

まとも。普通。一般的。常識的。自分はそちら側にいると思っている人はどうして、対岸にいると判断した人の生きる道を狭めようとするのだろうか。

自分の想像力の及ばなさを自覚していない狭い視野による公式で、誰かの苦しみを解き明かそうとするな。

自分はまともである、正解であると思える唯一の依り所が”多数派でいる”ということの矛盾。

何だか、一つ一つが腹にこたえますね。