星を掬う:町田そのこ

どんな本?

母に「捨てられた」娘が、DVに会ったりして経済的にも惨めな生活を送る中で、ひょんなことから母に再開するが、その母は若年性痴呆症だった。

同じ様に母に捨てられた女性たちと共同生活をしていくうちに、心の傷が癒やされていく。

テーマは?

いろいろ多彩で、「親子」・「DV」・「若年性痴呆症」でしょうか。


どのテーマもとても重いものです。

親子、特に母娘の関係

子供にとって両親とも大切ですが、特に母親の影響はとても大きいと思います。

生まれ落ちてから最初のうちはずっと母親に抱かれてオッパイを貰い、いつも話しかけられながらずっと顔を眺めているわけですから、赤ん坊にとっては母親は神のような存在だと思います。

しかしその母親の精神が少しだけ「変」だったら?

例えば、子供が口答えしようとすると腿をつねるとか日常的にしたらどうなるんでしょう?

おそらく子供のトラウマになって、子供はその事実を精神の奥底に沈めてしまい、よほどのことがない限りその事実さえ認めようとしないのではないかと思います。

親子の関係は常に美しいものとは限らず、特に母と娘の関係はこじれるとトコトンおかしくなるような気がします。

DV

私は68年の人生で一度も人を殴ったことがありません。

それは、私が「優しい」からではなく、喧嘩最弱と思っているからです。

小学生2年の時に1年生にコテンパンに負けました。

それ以来、喧嘩したら間違いなく負けるという確信のようなものが生まれました。なので一度も喧嘩したことはありません。

結婚して40年経ちますが、随分以前に「私に手を挙げなかったのだけは評価できる」と妻に褒められました。

「だけ」って。

暴力って、DVだけに限らず何らかのスイッチが入ってしまうことかと思います。

例えば、運動会系で今でもおこなわれているであろうシゴキ、介護施設や幼稚園や精神病院でおこなわれる弱者に対する虐待などは、ごく普通に見える人たちが何らかのスイッチが入ってしまって犯してしまう行為だろうと思います。

私だって偉そうなことは言えません。
そういう環境にあれば、勇気を出して暴力を止めるなんてことはできません。

でもやはり、暴力は絶対にダメです。

年をとって昔のことをよく思い出すようになりましたが、さまざまな後悔の念が次から次へと湧いてくるものの、その中に暴力シーンは一つもありません。

妻の言うとおり、暴力だけはしたことがなく、そういう記憶に悩まされないのはよかったと思っています。

若年性痴呆症

若年性痴呆症とは65歳未満で発症するもので、その半分以上がアルツハイマー型です。
つまり、特にはっきりした原因もなく脳細胞が減少していく状態です。

痴呆症で特に問題になるのは、排泄・徘徊・暴力でしょうか。

特に排泄に関してはいくら親しい家族でも、精神的にも体力面でもかなりの負担がかかると思われます。

もし私が便失禁・弄便をするようになったら、妻は施設に預けると思います。
逆の立場でもそうします。

その場合、排便だけではなくて入浴も食事も介助する必要があると思われ、それらすべてをおこなうのは老いた体ではとても無理です。

人生100年時代という地獄

最近、「人生100年時代」とさかんに言われますが、それって素晴らしいことでしょうか?

現在の、健康年齢(自分で身の回りのことができる)は70代半ばだそうです。
つまり、それを過ぎると何かしら人様の御厄介にならないと生きていけないということでしょう。
健康年齢が伸びない限り20数年間はそういう状態が続くのです。

私はそれが嬉しいこととはとても思えません。

私の両親は早死しましたが、母親は倒れてから3日、父親は倒れてから半日で死んでしまいました。

当時は随分とひどい話だと思いましたが、倒れてから何年も寝たきりになる人をたくさん見てきて、その方が遥かに辛いことかもしれないと思うようになりました。

健康であればもちろんいつまでも生きたいと思いますが、実際にはそうはいかないのでいいところでポックリといくのがベストと思っています。

ただし、ポックリいくというのは偶然に期待しているわけで、そういう意味では私は癌で余命宣告される方が終活もできていいのではないかと思っています。